東北大学大学院情報科学研究科 准教授
岡田 彩AYA OKADA
略歴
なぜ人は、別にやらなくても日々の暮らしに特段支障のない、寄付やボランティア活動をするのだろうか。どのような情報を見ると、そういった行動を起こそうと思うか。このような問題関心のもと、社会学および政策科学の立場から研究に取り組んでいる。PhD(国際公共政策・米国University of Pittsburgh Graduate School of Public and International Affairs)。同大学Master of International Development課程修了、一橋大学大学院社会学研究科修士課程修了、慶應義塾大学総合政策学部卒。同志社大学政策学部・助教、金沢大学国際基幹教育院・准教授を経て、2019年より現職。日本社会関係学会・副会長、日本NPO学会・理事、特定非営利活動法人 杜の伝言板ゆるる・副代表理事。
POINT ・「ファンドレイジング=資金を集める」という図式が問いなおされている。 ・ファンドレイジングの「望ましさ」の判断には、複数の基準が用いられてきた。 ・ファンドレイジングに携わる者は、無意識のうちに「望ましさ」の基準を持っている可能性がある。 |
1.寄付の申し出にためらいが・・・
「岡田さんが関わっておられるNPOに、10万円の寄付をしたいのですが・・・」
まだ知り合って間もない方から、このような申し出を受けたことがある。大変ありがたい話であり、「ありがとうございます!大切に使わせていただきます。」と喜んでお受けする場面かと思いきや、自分でも驚くほど、その言葉が出てこなかった。むしろ躊躇するような疑問が次々と頭に浮かんできたのである。
「団体について、どれぐらい知った上で、申し出てくださっているのだろうか。」
「どのようなことを期待して、寄付くださるのだろうか。」
「寄付いただくことは、この方にとって何か意味があることになり得るのだろうか。」
私が体験したこのためらいは、何だったのか。自分でも不思議に感じた状況は、後に触れた「ファンドレイジングの倫理(fundraising ethics)」に関するイギリスの議論から、納得のいくものとして理解できるようになった。どうやら無意識のうちに、私の中には「望ましいファンドレイジング」像が形成されており、知らず知らずのうちに、その基準と申し出を照らし合わせていたようなのである。
どのようなファンドレイジングを「望ましい」と考えるのか。それはなぜ「望ましい」と考えられるのか。本稿では、「倫理(ethics)」という切り口から、これらの問いにアプローチしている議論の一端を紹介していく。そこには、ファンドレイジングに携わる人々が自らを省みる契機となるヒントが詰まっている。
2.「ファンドレイジング=資金を集める」の問いなおし
ファンドレイジングの最も重要な軸は、「資金調達」である。非営利組織(NPO)や教育機関など、様々な組織が、その活動に必要な資金を差し出してくれる人から集めるというものであり、まさにその原則は、「依頼を通して、資金を集めること(to raise money by asking for it)」と理解することができるだろう(Institute of Fundraising, 2006 cited in MacQuillin, 2022a)。
では、できるだけ多くの金額を集めればよいかというと、事はそう単純ではない。近年、アメリカやヨーロッパで展開されているファンドレイジング研究では、この「ファンドレイジング=資金を集める」という図式の問いなおしが進められている。「どうすれば寄付を増やせるのか」を問うだけではなく、ファンドレイジングの多面的な側面に目を向け、その「質」を問うようになってきているのである。
例えば、イギリスの研究者であり、長年ファンドレイザーとしても活動していたBeth Breezeさんは、今日のファンドレイジングが果たすべき役割として3点を挙げている(Breeze, 2017)。第一に「フィランソロピーの文化を育てること」である。必要とする人々に支援の手を差し出す文化を、社会全体の中で、またチャリティ組織の中で育むことが重要だと論じている。第二に「ニーズをフレームすること」である。支援や介入を必要とする社会的な状況の存在を指摘し、その見方や捉え方を提示することと言い換えることができる。どのような支援が必要とされており、それはなぜ寄付を集めて支援すべきものと考えられるのか。ファンドレイジングは、取り上げる社会的な状況への支援や介入に正当性(legitimacy)を見出し、潜在的ドナーに提示すると同時に、問題や課題の解決に向けた信頼できる策を伝えるという役割を担っているのである。そして第三に「寄付を促すこと」である。ファンドレイジングが取り上げる社会的な状況の改善・解決に向けて、寄付という貢献の形を提示すること。それは寄付者が信頼できるものであると同時に、寄付者の人生を豊かにし、個人としてのフィランソロピーの継続的な実践に資するものとなることが求められる。
このように、近年のファンドレイジングは、資金集めという側面だけでなく、寄付者との関係や社会に与える影響など、多様な側面から捉えられるようになっている。そのような潮流の中では、資金を集める際の「質」にも、自ずと目が向けられるようになってきている。
3.「望ましい」ファンドレイジングとは?
では、どのようなファンドレイジングが「望ましい」と考えられるのか。この問いに対し、イギリスでRogareというファンドレイジングのシンクタンクを創設したIan MacQuillinさんは、「ファンドレイジングの倫理(ethics)」という観点から、複数の論考を発表している(MacQuillin, 2022a; 2022b)。本稿では、その一部を取り上げることで、「望ましい」ファンドレイジングがどのようなものとして捉え得るかを考察していく。
MacQuillin (2022a)では、ファンドレイジングについてこれまで書かれた論文等から、「ファンドレイジングは、Xの場合、倫理的である」という命題が14種類、抽出されている。なぜ「Xの場合」に倫理的であると考えられるのか、その理由を重視する規範的倫理(normative ethics)に目を向けている点が、特徴的である。
表1は、14類型をそれぞれの「Xの場合」とともに、リストアップしたものである。これらは、「倫理的である」と判断する理由として着目するポイントの違いから、「帰結主義(consequentialist)」「義務論(deontological)」「徳倫理(virtue ethics)」の3つに分けて考えることができる。それぞれ、具体例とともに見ていこう。
寄付の結果としてもたらされる帰結に着目(帰結主義)
類型1から類型6は、寄付が行われた結果としてもたらされる帰結に着目し、そこから「望ましい」と判断されるファンドレイジングのあり方である。寄付として集まった金額に注目するもの(類型1)もあれば、集まった資金で行われる活動により、社会的な課題や困りごとが解決・改善されたか否かに注目するもの(類型2)もある。NPOのファンドレイジングが「成功」したか否かは、このいずれかに分類される形で判断されることが多いだろうか。
帰結主義の「望ましい」ファンドレイジングとして、寄付者にもたらされる帰結に目を向けた類型も抽出されている。寄付者の希望が叶う形での寄付となったかどうか(類型3)、あるいは、寄付者に何らかの意味がもたされた行為となったかどうか(類型4)を基準として、「望ましさ」が判断されるものである。冒頭で紹介した経験談から、どうやら私にとっての「望ましい」ファンドレイジングは、類型4だったようである。
寄付を呼び掛けた組織やファンドレイジングそのものに対する信頼が醸成されたかどうかに着目したもの(類型5)も、帰結主義に基づく「望ましい」ファンドレイジングとして挙げられている。信頼を損ねるようなファンドレイジングは、「望ましくない」と判断されるということである。
帰結主義の最後の類型は、ファンドレイジングに関わる様々な立場の人々(ステークホルダー)の権利が損なわれることなく、バランスよく尊重される形を指している(類型6)。集められた資金により支援や介入を受ける受益者に代わって、寄付を呼び掛けるファンドレイザーがその責務を十分に果たすことができ、同時に寄付者が過度なプレッシャーにさらされないことが、判断基準とされている。
ファンドレイザーのふるまいに着目(義務論)
「望ましい」ファンドレイジングの基準として考えられるのは、寄付によってもたらされる帰結だけではない。結果はどうであれ、ファンドレイザーが、道徳的に正しいとされる行動で行ったファンドレイジングであったかどうかもまた、その基準となり得る。
例えば、何がなんでも資金を集めるということを優先せずに寄付集めを行なった場合(類型7)や、人種的・経済的な正義に基づいてファンドレイジングを行なった場合(類型8)、「望ましい」ファンドレイジングと判断される。
また、寄付者の想いを尊重することも、「望ましい」ファンドレイジングと考えられている。ファンドレイザーが、寄付者の希望を重視した場合(類型9)や寄付者の倫理的価値観に従うことを重視した場合(類型10)などである。
さらに、資金調達に従事する者が、チャリティの意図を促進・強化するべくファンドレイジングを進めたかどうか(類型11)、ファンドレイザーが潜在的な寄付者を操ろうとするような広報をしなかったどうか(類型12)、公共の利益に資することを重視したかどうか(類型13)も、「望ましい」ファンドレイジングのあり方として挙げられている。
ファンドレイザーの性質に着目(徳倫理)
最後の類型として挙げられているのは、ファンドレイザーが、その性質として「徳」を持っていたかどうかに着目して判断される「望ましさ」である。ここには1つの類型のみが挙げられており、贈与経済(gift economy)、すなわち見返りを求めずに他者のために資金を差し出す経済の仕組みを活性化することを念頭においたファンドレイジングであったかどうかが、「望ましさ」の判断基準として挙げられている(類型14)。
4. 目指すべきファンドレイジングに向けて
14類型は、どれが正しく、どれが間違っているというわけではない。あくまでも、こうしたファンドレイジングが「望ましい」と捉えられてきた、という類型を抽出したものである。ファンドレイジングに携わっている人にとっては、自分の認識や無意識のうちに実践していたことを自覚する材料になるのではないだろうか。同時に、寄付する側にとっても、自分にとって「望ましい」寄付のあり方を考えるヒントになる14類型である。
MacQuillin (2022a, 2022b)では、この14類型の中に、いくつかの傾向が見られることも指摘されている。例えば、寄付者を優先的に重視する寄付者中心主義(donor-centrism)が見られること、信頼獲得・醸成への傾倒が見られること(trustism)、フィランソロピーに資するファンドレイジングが重視されていること(service of philanthropy)、などである。
さらに、14類型を見渡してみると、ファンドレイジングに関わる様々な立場の中でも、寄付により行われる支援や介入の恩恵を受ける受益者の視点が著しく欠けていることに気づく。ファンドレイジングに際し、寄付者の想いを尊重すること、資金調達をする組織やセクターへの信頼を獲得すること、助け合いの文化を醸成することにばかり目が行き、寄付によって大きな影響を受ける受益者の声や想いがないがしろになっているのではないか。ファンドレイジングに関わる様々なステークホルダーの声や意思を尊重すること、すなわちファンドレイザー、寄付者、そして受益者それぞれの権利のバランスが取れたファンドレイジング(rights-based approach)を目指すべきではないか、という問題提起もなされている。
このように、ファンドレイジングの倫理に関する議論を概観すると、ファンドレイジングの「望ましさ」を判断する上で、複数の基準が用いられてきたこと、さらにそれが無意識のうちに実践に取り入れられている可能性に気づくことができる。「ファンドレイジング=資金を集める」という図式の問いなおしが進められる中で、どのような「望ましさ」を追い求めていくのか。日本の状況を踏まえた議論の活性化が求められる。
参考文献
Breeze, B. (2017). The New Fundraisers: Who Organises Charitable Giving in Contemporary Society? Bristol, UK: Policy Press.
MacQuillin, I. (2022a). Normative Fundraising Ethics: A Review of the Field.
Journal of Philanthropy and Marketing, e1740.
MacQuillin, I. (2022b). Don’t Ask, Don’t Get: The Ethics of Fundraising. (Chapter 4). In Hyde, F. and Mitchell, S.L. (Eds.). Charity Marketing: Contemporary Issues, Research and Practice. Routledge.