チャリティが「ふつう」である社会の歴史的な厚み

京都大学大学院文学研究科 教授
金澤 周作SHUSAKU KANAZAWA

略歴
京都大学大学院文学研究科西洋史学専修博士後期課程研究指導認定退学。博士(文学、京都大学)。川村学園女子大学准教授等を経て、現職。専門はイギリス近現代史。チャリティに関する主な著書・論文として、『チャリティとイギリス近代』(京都大学学術出版会、2008年)、Religion und Philanthropie in den europäischen Zivilgesellschaften: Entwicklungen im 19. und 20. Jahrhundert (共著、Ferdinand Schöningh, 2009)、『英国福祉ボランタリズムの起源――資本・コミュニティ・国家』(共編著、ミネルヴァ書房、2012年)、’‘To vote or not to vote’: Charity voting and the other side of subscriber democracy in Victorian England’, English Historical Review (vol.131, no.549, 2016)、『チャリティの帝国――もうひとつのイギリス近現代史』(岩波新書、2021年)、等がある。

POINT
・イギリスでは昔からチャリティ(慈善活動)が盛んであった
・イギリスで人がチャリティに取り組む姿勢は、現在の事情だけでなく、歴史的な経験の積み重なりに強く影響されている
・人々がどのような社会をよしとするかによってチャリティの役割や評価は変わり得る

1.日本のボランティア活動をどう見るか――イギリスという参照点

 一定の年齢以上の人は覚えておられると思うが、1995年1月の阪神淡路大震災をきっかけに、世上に「ボランティア」という存在が周知された(「ボランティア元年」)。それ以前は数十年にわたり、国内の誰かを救うボランティアなどというものは、ふつうの人の認識になかったはずである。少なくとも私にとって、ボランティアやチャリティ(慈善活動)には、飢饉に苦しむアフリカの子どもたちへの支援や、地域や学校でのバザー、一円玉貯金の大きな入れ物を24時間テレビの会場に持っていくことのようなイメージしかなかった。皆さんはどうだろう。あるいは、比較的若い方々にとって、このような少し前の日本はとても奇異に映るのではないか。
 ボランティアや慈善活動が過去の日本にまったくなかった、と言いたいわけではない。先駆的には、辻善之助『慈善救済史料』(1932年)が日本史上の(仏教)慈善の数々を列挙しているし、江戸時代に起源のある秋田感恩講などは形を変えて現在まで続いている。岡山の孤児院運営で知られる石井十次や、大原美術館で有名な大原孫三郎や、社会福祉事業にも多数取り組んだ渋沢栄一のような、突出した個人もいる。そして今や、全国に子ども食堂の輪が広がり、国内外の諸問題に取り組むNPOの活躍は日々メディアで紹介される。数年前から本格的な『寄付白書』も刊行されている。これをどうとらえればよいのだろうか。果たして、日本には文化として定着するほどのチャリティの蓄積はあるといってよいのだろうか。ここで考えていただきたいのは、日本のボランティアないし慈善活動の多寡や性質、言い換えればその独特さは、他の地域の現象と対比させて、はじめて浮かび上がらせることができるのではないかということである。
 そこで、日本以外の事例――ここではイギリス――を見る、ということになる。端的に言って、現在の日本のボランティアや慈善の活動がかすんで見えるほど、かの国では昔から今に至るまでチャリティが盛んである。毎年の寄付金額も顕著に違う。ところで、イギリスについては、まったく知らない、何の興味もない、という人は少ないだろう。シェイクスピア、コナン・ドイル(シャーロック・ホームズ)、ザ・ビートルズ、J・K・ローリング(ハリー・ポッター)の国。サッカー、テニス、ラグビーなど世界で人気の近代スポーツの発祥地。長らく憧憬の的であった成熟した議会制(そして二大政党制)。個性の際立つ王室の面々。現在の問題だらけの経済システムの淵源に位置する世界最初の産業革命が起きた国。かつてのローマ帝国やモンゴル帝国などの大帝国に比肩する威勢を誇った「大英帝国」。太平洋戦争における日本の主要敵国のひとつ。ユーラシア大陸をはさんで日本の反対側に位置する同じ島国なので、親近感を覚える人もいるだろう。G7の一員で、国連安保理常任理事国でもある。
 そして、このようなさまざまなはっきりとしたイメージを結ぶことのできるイギリスを対象にして、そこで展開したチャリティの歴史的な諸相を、日本との違いを意識して追究すること、これが、私がこれまでしてきたことであり、2021年に『チャリティの帝国』でまとめたことである。以下、同書から重要だと考えるポイントをいくつか選んで紹介したい。

2.「チャリティ」的なるものの世界史的な遍在――普遍的な三つの気持ち

 まず、皆さんに問うてみたい。有史以来いつのどこの集団に属する人間であれ、①困っている人がいたらできれば助けたい、②困っているときに助けてもらえたらうれしい、③自分のことではなくても人が救い救われている情景には心が和む、という三つの気持ちを多かれ少なかれ備えていただろうという前提を置くことができるのではないか。逆に、①困っている人がいたら積極的に放っておきたい、②困っているときに助けられたら腹が立つ、③救い救われている情景には虫唾が走る、のような気持ちの人が多数派である社会を想像できるだろうか。
 これらの普遍的な三つの気持ちの遍在は、世界の歴史を振り返ったとき、どこにでも他者救済の実践(ここでは「チャリティ」的なるもの、としておく)が記録されていることとも整合する。もちろん、そのような他者救済の多くは、集団の生存維持のための非意志的なメカニズムの発露である、あるいは、冷徹で合理的な計算に基づく行為である、と反論することは可能であろう。しかし、人間はロボットでも蟻でもなく感情を持つ存在なので、良かれ悪しかれ感情の作用を見ないでは、歴史の現実に迫ることはできない。そもそも、メカニズムや計算が機能しているならば、これほどの悲惨が歴史上に満ちているわけはないではないか。三つの気持ちの性質や強さや方向性が、救済の充実度・不足度のバリエーションを世界史上に作り出している。そう、注目すべきは普遍的な三つの気持ちが、どのような条件下で、どのように発現するかである。私は、イギリスを観察する中で、古代ギリシア・ローマ以来の、ヨーロッパの長い歴史の積み重なりに目を開かれるようになった。

3.古代、中世、近世、近代、現代の変容と蓄積――特殊な社会規範

 多くの先人たちの研究成果を踏まえて、あえて大づかみに時代の特徴を描いてみよう。古代ギリシア・ローマ世界の主人公であった都市の男性市民たちにも三つの気持ちが備わっていたようである。救いたいし救われたい、そういう関係は素晴らしい、そう感じていた。ただし、ほとんどの場合、対等な立場の市民(友人)同士の間でのみ、言い換えれば、所属する都市の内部でのみ、その感情は働いて、個人の救済や都市全体へのインフラ・食糧の寄贈がなされた。救いたい気持ちの背後には、その行為が自身の美徳の証明になるとの信念があった。古代人は名誉をひじょうに尊んだので、救われる側の人々はお返しに名誉(美徳の公認)を与えた。逆に、対等の市民以外の人――奴隷や外国人など――の窮状にはきわめて冷淡であった。
 この古代の地層の上に厚く堆積するのがキリスト教的な中世の千年である。ローマ帝国の片隅で誕生したキリスト教は次第に信者を増やし、4世紀頃には多数派となり、教会組織も体系化されていく。キリスト教といえば隣人愛であり、その表明としてのチャリティだということは、キリスト教徒の数が少ない日本でもよく知られていると思う。当時革命的だったのは、チャリティの与え先として、古代では常識だった「お返し」のできる相手を完全に否定した点である。キリスト教では、お返しなどできようもなく、名誉を付与する力もない、見知らぬ貧者への善行を推奨した。この非常識が次代の常識になっていく。三つの気持ちも変奏される。自身の死後の霊的な救いのために救いたい、救われれば神の恵みを感謝、そしてこの救い救われる関係こそ、キリストの教えの具現化であった。とはいえ、キリスト教徒でない人たち――イスラム教徒やユダヤ教徒など――には、通常、この気持ちは拡張されなかった。
 いわゆる大航海時代の幕開けを告げる15世紀末頃から、ヨーロッパは対内的には宗教をめぐる争いと国家の仕組みの変容が重なり、対外的には徐々に世界に航路を伸ばし徐々に植民地化を進めていく。貧困や浮浪は国家の存立を脅かす社会問題として認識されるようになり、公権力が、多くの地域で教会・修道院に代わって救貧を担うようになる(公的救貧)。そして、世俗の人たちは、蓄積した富の一部を用いて、盛んにチャリティを行った。イギリスを例にとるなら、16世紀末にできた救貧法は、以後20世紀半ばまでの長きにわたり、全国津々浦々の末端の行政単位(教区)毎に税金を集めてその地の極貧者を扶養する、生活保護のような仕組みを提供した。そして、そこに「転落」しないように、無数のチャリティ団体が設立され、人々の自発的な寄付金に基づいて運営された。人々は救いたかったし、救われれば喜んだ、そして救い救われる関係に心和んだ。とはいえ、救いたいの背後には社会秩序の不安定化への恐れがひそみ、救われた感謝の先は自分の属するローカルな社会であり、救い救われる関係の中によそ者は含まれなかった。
 このように、チャリティ的なるものの歴史の地層は堆積してゆく(本当は人権や帝国支配/国際援助に関わる近現代の地層もあるのだが、ここでは割愛)。古層の影響は新しい層にも浸透していくので、新しい時代になっても名誉を求める慈善家はいたし、信仰心はしばしば強烈な動機になった。それでも、時代ごとに特有の社会規範は見て取れるのである。
 では次に、ひとつのチャリティ実践の事例を紹介しながら、最盛期イギリスの「常識」と化していた規範と、私たちとの意外な近さを説明してみたい。

4.「救うに値する貧者」と「選別的な救済」という考え方――投票チャリティ

 ディケンズの小説世界で知られ、明治日本の憧れの的であった19世紀ヴィクトリア時代のイギリスでは、経済的自由主義への信奉が強くあり、その中でセルフ・ヘルプ(自助)の道徳が称揚されていた。社会の健全な発展のために人(成人男性)は自立していなくてはならず、努力し工夫すればそれは達成できる――。それゆえ、貧窮は総じて本人の過失とみなされた。しばらく前から日本を席捲している自己責任論の祖先にあたる考え方である。ただし、三つの気持ちが強くあらわれるイギリスでは、このようなイデオロギーの下にあっても、寄付者の自由意志の遂行たるチャリティは盛んであった。チャリティの担い手たちは、このイデオロギーと共存できるやり方として、「救うに値する貧者」を見分けて「選別的な救済」をすること(同時に「救うに値しない貧者」を公的救貧に委ねること)に意を尽くした。その究極の例が「投票チャリティ」である。
 投票チャリティとは、孤児、老人、寡婦といった自立が不可能な弱者を主たる対象として、寄付者が年に一、二度、大々的な選挙活動を展開し、あまたの候補者の中から「救うに値する」若干名を、投票して選びだす方法である。19世紀のイギリスでたいへん人気のあった仕組みで、多くの人がこれを採用するチャリティ団体の会員になり、寄付額に応じて付与される票を手に、熱心に選挙に勤しんだ。現在の私たちの良識に照らすと、デリカシーを欠く、人間の尊厳を軽視した行為に見えるのではないか。これが今あったら、と想像するだけで怖気をふるう人も多いだろう。実際、19世紀後半から投票チャリティに対する根強い反対キャンペーンが繰り広げられた。しかし、20世紀半ばまで根絶されなかった。
 過去の外国の事例だとはいえ、この「異常」に見える投票チャリティはいろいろな難問を今を生きる私たちに突き付けてくる。たとえば、救うべき人を選ぶという瞬間は今でも無数に生じている。救うに値する人、値しない人などという区別はできない、と一方では固く信じながら、他方で、資金や収容能力の限界のゆえに理由をつけて選別せざるをえない現実がある。そしてどうやって選別するかについて、さすがに投票はいかがなものかと思う人が多いだろうが、似たようなことはやはり日々起こっている。さらに、寄付者の善意を直接反映できる選挙ではなく、運営サイドによる選考の方がより効率的で本当に必要な人(救うに値する人)に届くという意見は当時もあったし、おそらくこれをお読みの方の中にもそういうご意見があるだろう。しかし、それが必ず正しい選別になるのかは保証の限りではないし、自分の気持ちが反映されやすい団体とされにくい団体があれば、きっと多くの寄付者は反映されやすい団体を選ぶだろう(当時もそうだったのでなかなかなくならなかった)。こうして、「支援するに値するチャリティ団体」とは何か、というもう一つの問題にもつながってくる。組織のガバナンスや広報、クラウドファンディングとも関連するだろう。

【解説】1854年に刊行された、ロンドンのチャリティ団体を網羅し、目的や沿革、活動実績や年寄付収入額、主だった幹部の名前を紹介したポケット・ガイド。寄付者はこのような情報源に基づいて支援する団体を「選別」した。
(出典)The Charities of London in 1852-3 (London, 1854) 個人蔵。

5.どのような社会をよしとするのか?

 早くも紙幅が尽きてしまった。イギリスは過去数千年の他者救済の伝統の上に立ち、三つの気持ちの発現形態も、その分、多様であるように見える。また、投票チャリティの例にあるように、「救うに値する貧者」とは誰か、寄付者の好みと運営者の判断のどちらが優先されるべきか、といった難しい諸問題に直面し、強靭なチャリティ的心性を鍛えてきた。なにより、本格的な福祉国家となって80年近く経っているにもかかわらず、イギリスの人たちは根本的に、依然としてチャリティのある社会をよしとしている(断っておくが、イギリスがバラ色の優しい社会だと言っているわけではない)。翻って日本では、歴史的に三つの気持ちはどのような地層を貫いてどのように発現してきたのか。その結果として、我々はチャリティ的なものが盛んな社会をよしとしているのかどうか、そのための寄付を厭わないのかどうか。他国の歴史に学び、このようなことを考えてみることにも、少なからず意義があるのではないだろうか。

参考文献

拙著『チャリティの帝国』(岩波新書、2021年)の巻末の文献一覧を参照。また、日本、西欧、中国などでの「チャリティ的なるもの」を歴史的な比較分析にかける実例としては、その種の研究文献も含め、次の雑誌の企画を参照。「特集:フィランスロピーの研究動向の整理と文献紹介(1)・(2)」『大原社会問題研究所雑誌』(626、628、2010年;https://oisr-org.ws.hosei.ac.jp/oz/index/601_699/)、「特集:慈善と救貧の比較史――金澤周作『チャリティの帝国――もうひとつのイギリス近現代史』をめぐって」『三田学会雑誌』(115巻2号、2022年7月;https://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/listitem.php?index_id=78040)。